カメジロー(瀬長亀次郎)物語
カメジロー(瀬長亀次郎)物語
■「県民に選ばれた議員、県民には忠誠を誓うが、米軍に忠誠を誓う必要はない」
1952年琉球政府創立式典で米軍への忠誠を誓う式典で「占領地の住民に忠誠を強制してはならない」(ハーグ陸戦条約)という国際法を根拠にセナガは「県民に選ばれた議員、県民には忠誠を誓うが、米軍に忠誠を誓う必要はない」とただ一人座ったままでいた。
■「土地収用令に抵抗する農民を支援して逮捕
翌1953年軍事基地拡張のための「土地収用令」に抵抗する農民を支援して逮捕され、軍事法廷で2年の刑期。兵糧攻めに市民とともにたたかう 1956年4月に出獄し、12月の那覇市長選で当選、米国民政府は那覇市への補助金・融資の打ち切り預金凍結を行ってきたが、当時瀬長市長は「自主的納税で財源を確保しよう」と呼びかけ77%だった納税率が97%までにな危機を乗り切った。
■「瀬長一人が叫んだら50m、70万県民が叫んだらワシントンを動かすことが出来る
米軍睨まれたら商売が出来なくなるという時代に瀬長市長の不信任を画策して、バージャー民政官と密会をしていたのが仲井真弘多知事の父元楷市議だった。皮肉にも息子弘多知事は東京で閣僚と密会し県民を裏切った。
1957年、米国民政府は1954年の逮捕を理由に府令を発して瀬長市長の追放をした。
1972年に施政権がアメリカ合衆国から日本政府に返還されました。
1968年から1990年まで衆議院議員として活動をしました。
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