2016年05月12日

セナガ美佐雄物語

父理一次郎、母シゲの三男
セナガ美佐雄は、1962年、豊見城市我那覇で父瀬長理一郎、母シゲの4男4女の3男として誕生しました。
セナガ美佐雄物語

祖父は不屈の人 瀬長亀次郎
父理一郎は瀬長亀次郎の長男で、セナガ美佐雄は亀次郎の孫になります。セナガ美佐雄が産まれた頃、亀次郎は米国の高等弁務官から被選挙権を剥奪された時期でした。
亀次郎は、正月にはお年玉をくれるやさしいおじいさんでした。
亀次郎の沖縄を思う意志はセナガ美佐雄や他の孫達に引き継がれました。

セナガ美佐雄物語

セナガ美佐雄物語
カメジロー(瀬長亀次郎)物語

専業農家で育ち、地元の学校へ
一家は、葉野さい作りを行い、早朝に那覇市の農連市場に運搬し販売する専業農家でした。セナガ美佐雄は農業の良さと厳しさを肌で感じました。セナガ美佐雄は、座安幼稚園、座安小、豊見城中、糸満高校、沖縄県立農業大学校へと進学しました。

野球に打ち込むスポーツ少年期
小学校の頃、字我那覇の野球チームに所属。小中高と野球一筋の少年時代でした。

県立農業大学校へ進学       
糸満高校を卒業し。ミサオは沖縄県立農業大学校の2期生として進学しました。三ヶ月間宮崎県に実習にも行きました。創立20周年の時同窓会を結成し、ミサオは初代同窓会の会長になりました。

ハワイへの農業研修
卒業後、ハワイ島で1年間研修しました。そこは、キャベツなど高原野菜を輪作で栽培していました。

農業の研修とともに世界の人々と貴重な交流ができました。
セナガ美佐雄物語

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青年期はやり投げで優勝
20代の初め、肩が強いからと、やり投げの選手に推され、出場したら豊見城の大会で優勝しました。30歳頃まで約10年間選手として市、郡、県の大会にも出場しました。選手の経験は議員活動にも生かされています。
セナガ美佐雄物語

農業の前に立ちはだかる政治の壁
その後、農業に従事したセナガ美佐雄は、プレハブ等の補助金の問題や施設づくりに取り組みました。しかし農業を続ける中で、制度や政治の問題が立ちはだかるのを強く感じました。それらの問題を解決するため、政治の力が大きいと思うようになりました。
 県立農業大学校で学んだことや農業の経験は、議員活動に活かされ、これまで「学校給食で地元の野菜活用」を充実させると共に、今農業を破壊するTPP反対に全力を注いでいます。

天久さんの後を継ぎ議員に
1994年、豊見城村議会議員への立候補要請がありました。しかし真嘉部地域は彼の出身地ではありません。天久さんの実績や力、周りの党員や支持者の方々の並々ならぬ努力があり、全くの新人のミサオを押し上げ、見事当選しました。
日本共産党の5人の議員団の一人として、22年間活動してきました。
セナガ美佐雄物語

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「30会」で日常的な交流
演説会が開かれ成功した「7月30日」を記念し、交流が持たれ、「30会」に発展し、毎月その日に模合を行うようになりました。セナガは、選挙の時だけでなく、日頃から後援会員や支持者と付き合っています。
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Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 12:06│Comments(1)プロフィール・セナガ美佐雄物語
この記事へのコメント
沖縄県議当選おめでとう
応援しています。
Posted by ヒーロー at 2020年06月08日 18:06
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