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2016年05月12日

セナガ美佐雄の実績

セナガ美佐雄は22年、豊見城市議を務めてきました。
実績を紹介します。

子育て支援を最大テーマに 児童館建設実現で運動
セナガ美佐雄が最も力を注いでいるのが子育て支援です。その中でも児童館建設、学童保育の充実、中学校までの医療費の無料化、待機児童ゼロに力を注いでいます。
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学童保育の充実の先頭に立つ
当初学童保育所は、補助金もなく、アパートや保護者の自宅前の庭を使用していました。セナガ美佐雄は沖縄県学童保育連絡協議会の副会長として、学童を発展させる活動に取り組みました。
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スポーツの充実を図る
日本共産党市議団は、「市民体育館の建設」「全天候型の陸上競技場の整備」「パークゴルフ場の設置」などを何度も市議会でとりあげ、それが実り、2015年、市民体育館が完成しました。
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民主商工会で中小業者の経営支援
民青同盟の専従を経て、民主商工会民主商工会(民商)で仕事。
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無料生活相談所を設置
2014年、豊見城ニュータウン入り口に、「悩み、困りごと、何でも気軽に連絡下さい」と銘打った「無料生活相談所」を設置しました。
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Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 14:24Comments(0)実績

2016年05月12日

無料生活相談所を設置

無料生活相談所を設置
2014年、豊見城ニュータウン入り口に、「悩み、困りごと、何でも気軽に連絡下さい」と銘打った「無料生活相談所」を設置しました。
 生活、介護、税金、医療、教育など相談が寄せられ、専門家や関係機関と連携したり、市当局へ持ち込み解決しています。重要な問題は、市議会で採りあげています。



  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 14:00Comments(0)実績

2016年05月12日

学童保育の充実の先頭に立つ

学童保育の充実の先頭に立つ
当初学童保育所は、補助金もなく、アパートや保護者の自宅前の庭を使用していました。セナガ美佐雄は沖縄県学童保育連絡協議会の副会長として、学童を発展させる活動に取り組みました。議会内外の長い運動で、補助金が出るようになり、ついに2008年長嶺小学校内に長嶺学童が併設されました。今日では、学童保育所が数多く誕生し、真嘉部コミユニティセンターにも、併設されました。しかし、学童の施設が貸し家であったり、待機児童が多い等問題も山積みです。



  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 13:58Comments(0)実績

2016年05月12日

子育て支援を最大テーマに 児童館建設実現で運動

子育て支援を最大テーマに 児童館建設実現で運動
セナガ美佐雄が最も力を注いでいるのが子育て支援です。その中でも児童館建設、学童保育の充実、中学校までの医療費の無料化、待機児童ゼロに力を注いでいます。

児童館建設は、何度も繰り返し提案しました。セナガ美佐雄は、「南風原町には小学校ごとに設置され、子ども達の健全育成に役立っている。子育て世代が多い豊見城では急務だ」と、議会内外で運動し、児童館建設を実現しました。その一つが、現在豊見城ニュータンウンにある「真嘉部コミユニティセンター」です。今では、乳幼児から児童・生徒、高齢者まで年間約3万人が利用しています。



  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 13:54Comments(0)実績

2016年05月12日

民主商工会で中小業者の経営支援

民主商工会で中小業者の経営支援
民青同盟の専従を経て、民主商工会民主商工会(民商)で仕事。民商では、中小業者の経営、確定申告や小規模法人の決算、書類作成の書き方、融資、国保料の減免申請の交渉などを学び経験しました。議員になり、市民の相談活動に役立っています。
  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 13:52Comments(0)実績

2016年05月12日

スポーツの充実を図る 市民体育館

スポーツの充実を図る

日本共産党市議団は、「市民体育館の建設」「全天候型の陸上競技場の整備」「パークゴルフ場の設置」などを何度も市議会でとりあげ、それが実り、2015年、市民体育館が完成しました。


  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 13:48Comments(0)実績

2016年05月12日

豊見城市議を22年 セナガ美佐雄 県政へ

翁長雄志知事と

セナガ美佐雄と翁長雄志沖縄県知事

日本共産党のセナガ美佐雄は、豊見城市議を22年務め、オール沖縄・豊見城の事務局長・「要」としてがんばってきました。
「セナガさんは県政を支える柱になる」と、翁長知事が激励。

仲里利信衆院議員と

セナガ美佐雄と仲里利信衆院議員

セナガ美佐雄は仲里利信衆院議員ともがっちり握手。
仲里さんは、「県政と国政をつなぐためにもセナガさんの勝利を」と激励しています。

<住民の方々の声>
「セナガさんは清掃活動にいつも参加し、それ以外の日でも草刈りやちり拾いをしている姿を見かけます」

「地域の盆踊りに毎年参加し、交流頂いています。気さくで踊りもするし、相談事もしやすいですね」

「セナガ美佐雄さん、大好きです」

「セナガさんには、朝の本の読み聞かせ活動に永年参加していただいています。尊敬します」

セナガ美佐雄プロフィール

  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 13:31Comments(0)プロフィール・セナガ美佐雄物語

2016年05月12日

セナガ美佐雄物語

父理一次郎、母シゲの三男
セナガ美佐雄は、1962年、豊見城市我那覇で父瀬長理一郎、母シゲの4男4女の3男として誕生しました。


祖父は不屈の人 瀬長亀次郎
父理一郎は瀬長亀次郎の長男で、セナガ美佐雄は亀次郎の孫になります。セナガ美佐雄が産まれた頃、亀次郎は米国の高等弁務官から被選挙権を剥奪された時期でした。
亀次郎は、正月にはお年玉をくれるやさしいおじいさんでした。
亀次郎の沖縄を思う意志はセナガ美佐雄や他の孫達に引き継がれました。




カメジロー(瀬長亀次郎)物語

専業農家で育ち、地元の学校へ
一家は、葉野さい作りを行い、早朝に那覇市の農連市場に運搬し販売する専業農家でした。セナガ美佐雄は農業の良さと厳しさを肌で感じました。セナガ美佐雄は、座安幼稚園、座安小、豊見城中、糸満高校、沖縄県立農業大学校へと進学しました。

野球に打ち込むスポーツ少年期
小学校の頃、字我那覇の野球チームに所属。小中高と野球一筋の少年時代でした。

県立農業大学校へ進学       
糸満高校を卒業し。ミサオは沖縄県立農業大学校の2期生として進学しました。三ヶ月間宮崎県に実習にも行きました。創立20周年の時同窓会を結成し、ミサオは初代同窓会の会長になりました。

ハワイへの農業研修
卒業後、ハワイ島で1年間研修しました。そこは、キャベツなど高原野菜を輪作で栽培していました。

農業の研修とともに世界の人々と貴重な交流ができました。




青年期はやり投げで優勝
20代の初め、肩が強いからと、やり投げの選手に推され、出場したら豊見城の大会で優勝しました。30歳頃まで約10年間選手として市、郡、県の大会にも出場しました。選手の経験は議員活動にも生かされています。


農業の前に立ちはだかる政治の壁
その後、農業に従事したセナガ美佐雄は、プレハブ等の補助金の問題や施設づくりに取り組みました。しかし農業を続ける中で、制度や政治の問題が立ちはだかるのを強く感じました。それらの問題を解決するため、政治の力が大きいと思うようになりました。
 県立農業大学校で学んだことや農業の経験は、議員活動に活かされ、これまで「学校給食で地元の野菜活用」を充実させると共に、今農業を破壊するTPP反対に全力を注いでいます。

天久さんの後を継ぎ議員に
1994年、豊見城村議会議員への立候補要請がありました。しかし真嘉部地域は彼の出身地ではありません。天久さんの実績や力、周りの党員や支持者の方々の並々ならぬ努力があり、全くの新人のミサオを押し上げ、見事当選しました。
日本共産党の5人の議員団の一人として、22年間活動してきました。




「30会」で日常的な交流
演説会が開かれ成功した「7月30日」を記念し、交流が持たれ、「30会」に発展し、毎月その日に模合を行うようになりました。セナガは、選挙の時だけでなく、日頃から後援会員や支持者と付き合っています。


  


Posted by 瀬長美佐雄(せながみさお) at 12:06Comments(1)プロフィール・セナガ美佐雄物語